黎明乃刻を、雛森(時々ユキ)の立場で振り返るよ

メサイア黎明乃刻、大阪公演お疲れ様でした。

今は、大阪6公演を走り抜けた、なんとも言えない気持ちでこのまとめを書いています。

おうちで独りぼっちなのと、ここ最近の数日、当たり前のようにあったメサイアがまた一旦小休止を迎えてしまって、虚無です。さみしい。明日もまた、舞台があるような気がする。明日もまた、劇場に通ってるような気がする。

でも、お休みです。

 

前に、「雛森視点で黎明を追いたいな~」とぼやいたので、今、この大阪公演が終わった時点での感想を、自分の記録用としても残しておきたいと思います。

(前の記事はこれ↓)

stmuai25.hatenablog.com

 

 

雛森視点で、とか言いましたけど、たぶんそれだけに留まれなくて、ユキ視点が入ってくると思います。

 

黄昏までの雛森

雛森の登場は、悠久から。

百瀬さんと同期の雛森は、雛森曰く任務中に嵌められ(?)て、大怪我を追う。そのまま、5年間昏睡状態。やっと目覚めたが、当時のメサイアはもういなくなっており、小暮くんとメサイアを組まされる。

 

月詠では、雛森の前のメサイアであるユキが生きていたことが発覚。ただし、北方連合の工作員、つまり雛森の敵として再会することになる。

一方、自分自身が一嶋さんのクローンだと知ってしまい、「自分なんてどうでもいい」と自暴自棄になっている小暮くんに「おまえは死なせない、おまえは俺のメサイアだ」と言う。

 

黄昏では、北方連合でユキと再会をするも、今度は小暮くんが北方の手駒となり、小暮くんを連れ戻すことを誓って一旦日本へ帰国する。

 

 

黎明での雛森

黎明での雛森って、基本的に、常にユキと小暮くんの間で揺れてますよね。

 

オープニングに入る直前もそうなんですけど、雛森は自分の左側のホルスターに入っている銃を見つめて「俺のメサイア……か」と呟きます。

あの銃は、ユキの銃です。今まで雛森が二丁拳銃で戦っていたのは、ユキの銃を持っていたから。「二丁拳銃で戦いたい」と申し出たのは一慶さんだったかと思うので、この「ユキの銃を持っている」という設定は、後から付け加えられたものなんだと思います。

ユキの銃を見つめながら、俺のメサイアという言葉を呟く雛森。だけど、後ろには小暮くんがいました。雛森にとってのメサイアって、このときはふたりいるんですよね。小暮くんとユキが、雛森にとってのメサイアなんですよ。この時点で、雛森はすでにふたりのメサイアの間で揺れていました。

 

でもユキは北方にいて、自分の意志で雛森を拒絶し、北方のエージェントになっていました。月詠、黄昏と拒絶され続けているのに、それでもユキを諦めない雛森は、すごいと思います。きっとそれほどまでにユキのことが大切で、ユキに対しての大きな罪悪感を持っていたんだろうなあ、と思いました。

 

だからこそ、今のメサイアである小暮くんを救いたいって気持ちがすごくわかるんですけど、雛森は同時に、まだユキを連れ戻すってことも諦めてないんですよね。ユキのことを敵と見なせないし、まだ同じサクラとして戦えると思っている。なんなら、背中を預けることすらできそうな勢いです。

雛森って、本当に、ユキと小暮くんを選べないんだなあ、と思いました。どっちも救って、どっちもメサイアになるなんて、絶対に無理なのに。

 

ラスールと要に連れられて、雛森メサイアスーツを着たユキと再会したとき、雛森は心底信じられなくて、心底嬉しかったはずです。

あのとき救えなかったユキと、またこうして背中を合わせて戦うことができる。その気持ちは、雛森の表情からもよくわかりました。

けれど同時に、これって、ものすごい呪縛なんですよね。雛森自身が「こんなことでユキへの罪が償えるわけじゃないけど(みたいなニュアンスだったと思うんですけど……)」って言っているように、「自分はメサイアを見捨てた/救えなかった」っていう呪縛が、雛森の中にはずっと残ったままです。黄昏では「もし俺が逆の立場だったとしても恨みはしない、任務のためなら喜んでおまえに切り捨てられる」とまで言っている雛森が、ユキに対してはずっと罪を抱えたままなんですよ。雛森はすごくすごく優しいんだなあ、って思いましたし、同時に、自分のメサイアに対して抱くような感情じゃないなあ、とも思いました。

 

で、そのまま小暮くんとの戦闘になってしまうんですけど。

小暮くんに銃を返すとき、雛森は「俺だっておまえと同じだ。ずっと」と言います。これ、「ずっと」のあとになにか続くものがあるような気がしていて、その部分が雛森と小暮くんの共通点なんだろうなって感じました。

今思えば、この「ずっと」のあとに続くのは、雛森の弱さであり小暮くんの弱さでもあった「自分は誰でもない」っていうことだと思うんですけど、まだこのとき、雛森は小暮くんにその弱さを明言しないんですよね。

それって、小暮くんがまだ雛森に「救われる立場」であって「救う立場」ではないからかな、と思いました。

メサイアって、救うだけじゃだめなんですよ。相手に救われるのもまたメサイアであり、そのために自分の弱さもなにもかもを曝け出さないといけない。このときの雛森は、まだ小暮くんを「救う立場」なだけで、「救われる立場」じゃなかったんです。だから雛森は、自分の弱さを小暮くんに明言できなかったのかな、と思いました。

 

そのあと、雛森は言葉を尽くして小暮くんを助けようとするんですけど、その直前にユキを救うため小暮くんに一発撃ってるから、小暮くんは雛森のことを全然信じてくれません。銃を向けた雛森に対して「また俺を撃つつもりか」とまで言ってしまう小暮くん。

「俺を殺せ」って小暮くんが言うのは、たったひとり大切な存在になり得るかもしれなかった雛森に裏切られて、なにもかもがどうでもよくなってしまったがゆえの自暴自棄だったのかもしれないですけど、それでもきっと、雛森に殺されて楽になってしまいたい、という思いもあったように思います。

 

あのとき、雛森は小暮くんを撃つんですよ。自分の意志で、選択して、小暮くんを撃ちます。それはどれほど辛いことだっただろう、と思いますが、同時に小暮くんの願いを叶えてあげたいという、雛森の優しさも、ほんの少しはあったと思いたいです。

 

結局小暮くんを撃ち殺してしまった雛森は、そのあとその選択を死ぬほど後悔しました。

「俺はまた、諦めたんだ。俺はまた、自分のせいで、自分のメサイアを……」っていう台詞を聞いたとき、「もっと他にあったはずなんだ!」と叫ぶ雛森も相まって、めちゃくちゃ辛かったです。

小暮くんに斬りつけられてボロボロになりながら、それでも小暮くんを救いたいと考えていた雛森。でもそれでも、捉え方によったら、「相手を殺すという一番簡単な方法をとった」というふうに考えられなくもないですよね。自分が傷つきたくないから、相手を殺す。小暮くんも、一応それを望んでいたように見えます。だから殺した。なにも間違ってないはずなんですけど、雛森からすれば、小暮くんを救う方法を考えることを諦めたのと同義なんですよ。

そしてそれは、5年前のユキのときもそうです。一嶋さんに言われるがまま、雛森はユキの救出よりも任務を優先してしまった。考えることを諦めてしまった。だから「また」なんですよね。

 

このときユキは、雛森を抱き締めてくれます。雛森が選んだ選択肢は間違ってなかった、と言ってくれます。

でも、「『メサイアと命をかけて向き合う』。おまえは、俺の教えを体現した」って言われたとき、あれ?ってなりました。

 

そもそもここのシーン、会話があんまり成り立ってない印象を受けました。

雛森は小暮くんを救う方法を考えているのに、ユキは「おまえは強くなった」とか「俺の教えを体現した」とか、なんかちょっと違うような……?みたいな気持ちになりました。

ユキが「小暮のような悲しみを二度と生み出さないためにも」という発言に、雛森はやっと顔を上げて、ユキの手を取ります。

雛森が望んだ世界って、これなんですよ。小暮くんのような悲しみを二度と生み出さないために。その世界が、イコール、ユキの「誰もが手を取り合って共に生きていける世界」だと思ってるんです。

 

で、ちょっと場面は飛びますけど、雛森が真生光さんに本当の目的を教えられて、ユキに「いっしょに来ないか」と誘われるシーン。

真生光さんの本当の目的を聞いたときの雛森の表情って、「そんなの、駄目なんじゃないのか?」って感じの表情でした。

でもこの時点で雛森は、小暮くんは死んじゃったと思っているので、ユキ以外の選択肢はほぼ皆無です。加えて雛森の「俺はユキをひとりにしちゃいけないんだ」っていう台詞は、目的の内容を判断しているわけではなく、完全に判断基準が「ユキ」なんですよ。その選択肢がいいか悪いかではなく、ユキがいるかいないか、です。善悪の判断をすっ飛ばして、なんなら善悪の判断がユキの存在と同等くらいになっている。

これって、違いますよね。雛森が選んだんじゃなくて、そう選ばざるを得なくなってしまった状態だなって思いました。なんたって雛森は、ユキへの罪悪感に囚われているので。

でも一回、ユキは雛森を突き放すんです。「おまえを巻き込みたくない」って。でも、雛森には、ユキと一緒に行かないなんていう選択はできません。もう二度と、ユキをひとりにしちゃいけないと思っているので。

だからこれは、雛森が選んだようで、実際は全くそんなことないんですよ。選択肢なんて最初からなくて、雛森はユキと共に行くということをただ従順に守っているだけなんです。

 

ここらへんから、雛森は自分で考えることを本格的に放棄し始めます。「なにも考えなくていい」「黙って俺についてくればいい」と、他でもないユキから言われるので、それが雛森の中では全部正しい選択になるんですよ。それを選んでおけば大丈夫なんです。もう二度と、ユキをひとりにしないために。

 

今更ですけど、雛森の弱さは「選択できないこと」つまり、小暮くんと同じく「自分がないこと」だったのかなあ、と思います。

人生って、全て自分で選んだことの積み重ねですけど、自分で選択したからには必ずそこに責任がつきます。そして雛森は今まで、自分の選択で多くの後悔をしています。

一嶋さんの命令を守ったから、ユキを救えなかった。自分ひとりでユキを救いに敵地へ乗り込んだから、5年間眠ったままだった。

きっとまだまだあるでしょうけど、自分が選んだことのなにもかもが悪い方向に転がれば、選択することが怖くなります。自分の命と同じくらい大切なメサイアに関することなら尚更です。きっとこのときの雛森は、すごく弱かったんだろうな、と思いました。

自分の選択で招いた結果に責任をとることが怖いなら、誰かに決めてもらったほうが楽です。迷わなくていいし、自分で責任を負わなくていい。雛森に人間としての生き方を教えたというユキは、その選択をいつも正解に導いてくれます。だから雛森にとっての正解って、ユキのことなんですよ。ユキが言うことなら、間違いないんです。ユキの理想は雛森の理想、なんです。

 

きっとユキも、まだまだ弱かった雛森を導いてやらなければ、と思っていたと思います。ユキにとって、雛森は本当にまだまだ未熟な雛鳥だったんじゃないかなあ。きっと親が子に抱くような、庇護欲みたいなものもあったと思います。

自分が導いてやっていた雛鳥には、それに加えて罪悪感という縛りが付きました。もう、雛森がユキ以外を選ぶなんてこと、ほぼ有り得ないんです。

 

ガラの台詞に「生徒はいつか師を超える」とあります。

ユキは、雛森にとっての「心の師」でした。ユキは雛森をたくさん導いてやったと思うんですけど、でもそこに対等さってないんですよね。

でも、小暮くんと雛森を見たとき、小暮くんは雛森から「小暮洵として生きていくこと」を教わりましたし、雛森は小暮くんから「人は弱く、もがきながら、それでも過ちを犯す。でもだからこそ、支え合って生きていけるってこと」を学びました。お互いがお互いの先生であり、生徒でもある。超えられるし、越えられない関係であるからこそ、限りなく対等なんじゃないかと思います。

あと小暮くんは、雛森がユキを撃とうとしたとき、自分のことのように涙を流して苦しんでくれました。雛森にとってのユキはとても大切な人で、その人を自分の手にかけることが苦しくないはずがないですよね。その苦しみを、小暮くんは自分のことのように思ってくれる。悠久での有賀と加々美がそうであるように、メサイアって「おまえの痛みは俺の痛み」なんですよ。

だからユキはあのとき、雛森が小暮くんを殺してしまったと泣いたとき、雛森といっしょに小暮くんの死を悲しんであげるべきだったのかなあ、と、ふと思いました。

 

そういったことを総合すると、本物のメサイアになれるのは、雛森と小暮くんだったのかもしれないですよね。

 

これは本当に私の勝手な考えですが、ユキって雛森のことが大好きだったと思います。だからこそ「愛していた」という単語が出てきたんでしょうし。

大好きで、守ってやりたくて、愛したくて、そうした想いが「雛森を人形にしてしまう」ってことになってしまったのかなあ、と思いました。それがユキにとっての精一杯の愛し方でしたし、弱かった雛森はそうならざるを得なかったのかもしれません。

 

黄昏のサリュートの台詞に「強き者と弱き者、どちらが幸せなんだろうな」というものがあります。この意味を、ずっと考えていました。

ユキは間違いなく、「強き者」だったと思います。戦闘においても、北方に囚われてからの5年間を考えても、強くなければ生きていないと思います。でも、強くてひとりで立てるからこそ、誰かと寄り添っていくことが叶わなかった。

反対に、雛森も小暮もきっと「弱き者」です。でもだからこそ、ふたりで支え合って補い合って、生きていくことができます。弱いからこそ痛みを知って、相手を思いやることができたんだと思います。

そういう意味では、どちらが幸せかなんて、本当にわからないんですよね。

 

ひとつひとつの台詞、シーン、まだまだ書きたいことや整理したいことが山のようにあるのですが、大阪公演を終えてのユキと雛森のことを私なりにまとめると、こんなふうになりました。

また凱旋を見ると、違った感想になると思います。大阪公演でも思いましたが、演者のお芝居がどんどん変わるので!

 

残り凱旋だけとなってめちゃくちゃ寂しいのですが、残りの黎明を目一杯楽しみたいです!